5月27日、牧落倶楽部探求シリーズの新しい講座が始まりました。「都市の音楽史1ウィーン・全3回シリーズ」です。このシリーズでは、ハプスブルク講座でお馴染みの大津留厚先生と、新たに音楽文化史がご専門の大田美佐子先生にも加わっていただき、素晴らしい先生お二人による豪華な講座となっています。初回である今回は「音楽の都ウィーンの成り立ち」ということで18世紀から19世紀の初めまでのウィーンについてのお話でした。

まずは大津留先生に、アンダーミュラー(アンハルト三公国の駐ウィーン使節)の作った鳥瞰図を手掛かりに、そこから考察されることをお話しいただきました。その鳥瞰図は貴重な歴史的資料なのですが、それが額に入れて飾っておきたいほど美しいのです!絵のように美しいその地図ですが、大津留先生が解説してくださると、当時の社会のリアルな様子が見えてきて、とても興味深いものでした。大田先生が「上空からどんどん寄って行って、細かい部分までクローズアップしていくという感じが素晴らしい」とおっしゃり、なるほど、先生が二人いらっしゃるというのは、講義の受け止め方、視点の置き方などもご指導いただけて、より深い理解につながりました。新たな発見でした。

続いての大田先生のご講義は、なぜウィーンが音楽の都になったのかという議題が中心でした。美しい映像や音楽も流してくださり、とてもわかりやすく、楽しみながら学べました。その中でも特に私の印象に残ったことは、ムジークフェライン(ウィーン学友協会)の彫像のお話です。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが毎年行われている有名なそのホールですが、正面に何体かの彫像が立っています。私も彫像があることは知っていましたが、それが誰の彫像なのか…考えたこともありませんでした。ギリシャの神さまたち?それとも歴史的な音楽家たち?はたまた時の権力者たち??などとテキトーに想像してみたのですが、なんと、名もなき市井の人々だそうです!そのような普通の人々、すなわち一般聴衆こそが真に音楽を作り上げる人々なのだ、という考えで作られたそうです。ウィーンという街では音楽について分け隔てなく考え、本質を捉えられていたことが窺われます。このような社会風土のもと、本物の音楽が育ち、根付いていったのだなぁと感動しました。

さてこのウィーン講座ですが、次回、第二回は9月17日(日)です。「現代に繋がるウィーンの街の姿と多様」ということで19世紀後半のウィーンのお話です。そこから何が見えてくるのか、今からとても楽しみにさせていただいております。大田先生のウィーンからのライブ中継もあるのかも…⁈と聞いております。

お二人の先生ということで、先生方相互のやり取りなども伺えて、いつも以上にアカデミックな雰囲気の中、楽しく講義を受けることができたように思います。第二回からでももちろん楽しんで受けていただけることと思います。みなさんも牧落倶楽部で遥かなるウィーンへの旅に出かけてみませんか?

アンダーミュラーの鳥瞰図
ムジークフェライン
都市の音楽史Ⅰウィーン 第1回「音楽の都ウィーンの成り立ち」より